2009/03/29

テオ・ヤンセン展 —新しい命の形—

●アーティストと物理学者の差●


テオ・ヤンセンの砂浜で生きる動物「ビーチアニマル」。
彼は、コンピュータを使って動き(運動というのかな?)を研究し、それをもとに作品=ビーチアニマルを制作しています。


展示スペースに入り、彼のワークステーション的な展示を見ていると、彼の活動はアーティストの制作活動というよりも、ロボコンに向けて研究開発している学生に近い匂いを感じました。出来上がっている作品も、機械っぽい。果たしてこれはアート作品なのか?
世の中では、何でもかんでも「アート」という言葉を当てはめて済ませるきらいがありますが、その手の「アート」でもなさそう。じゃ、なんなんだろう。

ビーチアニマルを構成するのは、骨格はプラスティックのパイプやチューブ、羽はビニール、そして最進化形には胃袋としてペットボトルが付いています。私たち生命体はタンパク質で構成させているのに対し、新たな生命体を目指すビーチアニマルは「プラ」のリサイクルマークが付けられそうな、そんな素材で構成されています(途中で木材に“浮気”した経緯があるものの、今はプラ系で進化中)。
でも、本当はもっと良い素材があるのではないかと思います。それぞれのパーツに最適の素材を用いて、異素材を組み合わせて構成することも可能なはずです。しかし、あくまでもプラスティックのパイプの骨組みにこだわり、他の素材は使用されていません。そこがポイント。“進化”という過程の中で、突然異素材のものが出てくるのはちょっとおかしい。進化の度に都合良く異素材を持ち出せば、突然変異のしすぎになってしまいます。
テオ・ヤンセンの中で、進化の(制作の)ストーリーがある。生命体の構成物質はタンパク質の代わりに「プラ」であるという大前提がある。そこがアートなのかもしれません。少なくとも私は、そのスタンスがアーティストと物理学者の違いであると思います。


●命について●


会場にはこれまでの作品も展示されていますが、テオ・ヤンセンはそれらを「化石」と呼ぶそうです。展示の様子はまるでお墓のようでした。
会場で流されているDVDではこれらの作品の在りし日の姿が映されていて、そこでは元気に動いているのに、横で眠っている作品に目をやると、痛々しいほどにボロボロになっていました。
090329_2.jpg090329_1.jpg第一号作品(左の写真)は、関節となるジョイント部分をテープで固定してありますが、そのテープが劣化していて、古くなったセロテープのように、手を触れれば崩れ落ちてしまいそうになっていました。もう自立をしないので、仰向けの状態で展示してあります。
風をエネルギーとして動いていた作品(右の写真)は、風を受ける羽や胴体部分がボロボロになっていました。

私たちには、治癒能力があります。日々の新陳代謝で常に新鮮な状態を保つことができます。しかし、ビーチアニマルは生命体とはいえ、一度破損してしったら、自身での修復はできません。最進化形の作品は風が吹けば羽を広げ、風がないときはタンクに貯めた圧縮空気で動き、風向きに合わせて杭を打ち込んで方向転換もできるというおりこうさんですが、もし羽に穴があいたらそれをふさぐことができないし、パイプのジョイントが外れてしまったら繋ぎ直すことができません。そして新陳代謝ができないので、構成物質のプラスティックはだんだん劣化していきます。

そこが私たち生命体との大きな違い。
とはいえ、私たちも死んでしまうとそこで物理的な時間はとまり、ビーチアニマルと同じ道をたどります。
生きているか死んでいるかという事実は単純なことだけど、そこにある命とはすごいものだと、プラスティックの墓地の中で思いました。
展覧会のサブタイトルに「新しい命の形」とあり、公式HPではテオ・ヤンセンが『神のように「新しい生命」を創るという私の夢を感じてください』と言っています。私たちが持っている「命」と違うタイプの「命」って、どんなものになるのでしょうか。


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テオ・ヤンセン展 —新しい命の形—
@日比谷パティオ特設会場
2009年4月12日(日)まで
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