2012/02/05

ジャン=ミシェル オトニエル:マイ ウェイ

※検索からこのページに辿り着いた人のためにはじめにに断りを入れておくと、私はいつもこんな風に美術館を楽しんでいるわけではないですよ。

フライヤーには、『色鮮やかなガラスを素材ににた装飾的で官能的な作品で知られるジャン=ミシェル オトニエル。』とあります。

いや、でも、しかし。官能的なんてものじゃない。

光を通してキラキラしているガラス。赤や紫、琥珀色に透明、緑、黒。光と原美術館の雰囲気と、とても綺麗な空間。
なんだけど。

赤い色は血、肉。琥珀色は樹液、体液。そんなイメージ。
ガラスの質感、知っている手触り感、触るとひんやりする感じは、体温の伝わらない冬の髪の毛や冷えた肌、耳。そんなのを連想させる。
柔らかい間に成形するガラスは、固まることのない子宮の中の血液のようにも感じた。
まんまるのようで、いびつに歪んでいたり、深い窪みのあるガラス玉。重力に従順に垂れ落ちたり、滴る液体の形状。
《無題》1997
食虫植物のようにもみえる。
あれにもモゾッとする感覚がある。

それらの作品の要素全てが身体の中でひとつになって、快楽の世界へ連れて行かれるような、そんな感覚に落とされました。おもわず、しゃがみこみたくなる感じ。
誰かに触れたい衝動、誰かに触れられたい衝動。
ここ、美術館なんですけど、ね。

気持ちがムラムラするとか、そういうのでは決してない。
視覚からの刺激で、身体の方が先にソワソワしてきて、それが心に伝わって、頭がクラクラ。

一見綺麗なガラスに、うっかり抉り取られた感覚。

《傷のネックッレス》は、直接的な作品だと誰もが感じるだろう。でも何も考えずに身体の中に入ってきた他の作品の方が、私にとっては直接的でした。
ときどき、こういう風に、スッと肌に馴染むような、フィットするような、直感的に通じるような展示に会うと、ほんとうに気持ちがいい。
深層をつつかれるような、無意識を刺激されるような。まさに「感じる作品」であったと思います。

(左から)《象ったヴィーナス》《女予言者の穴》《目》《長い苦しみへの入り口》《時計皿》1992-1993
サラリとしているけれどどこか柔らかいワックスや硫黄の質感にゾクッとする。
触っていないのに、触覚を刺激される。

個人的には2階の廊下の《トワル ド ジュイの上のフランス地図》でノックアウト状態。ポカーンとし始めたのはこのあたり。
まさか美智ルームで休憩することになるなんて。

鏡面ガラスの作品《自立する大きな結び目》や《ラカンの大きな結び目》には、そんな私の姿がたくさん映り、ハッと我にかえったりもするのでした。

1階廊下のドローイングは、水彩の透明感がとてもきれいでした。
滲むグラデーションの感じが、とても好き。


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ジャン=ミシェル オトニエル:マイ ウェイ
@原美術館
2012年1月7日(土)→3月11日(日)
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