2012/07/01

川内倫子展 照度 あめつち 影を見る


主に「イルミナンス」シリーズと「あめつち」シリーズで構成された白と黒の空間。

展示室に入ると、回廊に並ぶ柱のように1×1mの大きなプリントに囲まれる白い廊下。
「イルミナンス」シリーズで写し出されているのは、誰もがみつけることのできる景色で、特別に用意されたものや探し出したものではない。“知っているかんじ”とか“どこかにある記憶のようなかんじ”という感覚は、人生が長くなればなった分だけ増えるのかなと思った。最近、今までよりもそういう感覚を覚えることが多くなったように思う。無意識のうちに、大切なものがたまって積もっていく、そういうことに、ふと気付くことができた。
被写体に統一感はないけれど、川内さんがみている光を感じる。同じ光のない時間の中で、一瞬一瞬をフィルムに閉じ込めることが、写真を撮るということなんだろう。映像をみていたら、私も光を探しに出掛けたい衝動に駆られた。

最初のシリーズ名の候補だった『玉虫色」は、みる角度によって移り変わる色。みる人の眼と脳によって、みえ方が変わる。私には、静止画の写真の中に空気の流れや匂いがみえて、止まっているはずの画像がゆらいでみえた。一定にはとどまらない時間の流れの積み重ね。
これまでの人生の中で、視界の片隅でみていたような付随してきたサイドストーリーのような景色の映像は、記憶の片隅から何かを呼び覚まされたようだった。それぞれには、これといった意味はない。毎日の生活なんていうのはそういうものの集合で、時間はするすると流れていく。

脳ミソで考えることをスルリと通り抜けて、ダイレクトに具体的なイメージのまま精神に届くような感覚だ。そういう心地わるい心地よさがある。


「あめつち」シリーズには、力強さを感じた。ジリジリと照りつける夏の太陽を日陰からみているよな、ジワジワと湧いてくる地熱のような、そんな感覚。暗い部屋に浮かび上がる写真には温度も音も匂いもないのだけど、ここでもそれが遠くからやってくる。
天と地。それに比べると私なんてちっぽけよりも小さく感じて、無になったような気がした。湧き上がりそうになる感情も、沈められてしまう。
4×5で撮るのは儀式をしている、というのがよくわかる。それを追随するように、写真をみる。
いつまでも、ずっと佇んでいられる空間。


撮影の対象によってカメラを使い分けるというのは、写真をやる人には当たり前のことなのかもしれないけれど、どうも写真に対して上手く付き合えないでいた私にとっては、なるほど、と思うことだった。

なんでも気軽にケータイのシャッターをきる人を街で良く見かけるようになったけれど、私にはそれがなかなかできない。残しておきたいと思うものが空気感とか感情で、それを静止画にすることがうまくできないから。撮ってみても消すことも多いし、旅行に行っても、撮る枚数はとても少ないと思う。
だけど、ケータイという手軽なツールでパチパチと一瞬を閉じ込める感覚を持てたら楽しいだろうな、と純粋に思って、ちょっと頑張ってみている。


最近、写真をみることができるようになってきた。作家の眼差しに自分の眼差しを重ねる。作家がみているものを、写真越しにみる。そのなかで、作家のことがみえてくる、それがとてもおもしろい。


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川内倫子展 照度 あめつち 影を見る
@東京都写真美術館
2012年5月12日(土)→7月16日(月・祝)
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