塩田千春 私たちの行方

黒いカーテンの中に入ると、想像以上の世界が広がっていた。

展示室の中に作られた池。その上に並ぶ2艘の舟とそこに降り注ぐ水。しばらくすると雨が上がるように止む水。舟の底から滴り落ちる水。また降り注ぐ水...その繰り返し。

私たちの行方。Where Are We Going?

私たちはこれからどこへ行くのだろうか?
舟は朽ちかけ、底には穴が空いている。目的地まで辿り着けるのか?そもそも、目的地はどこだろう?
雨は強く降り注ぎ、嵐のよう。過去や悩みを洗い流すような雨は、傘をささずに歩きたくなる雨の夜を思い出す。しかし閉ざされた展示室に降り注ぐ雨は異様でもあり、不安感も覚える。
浅い池の水面が揺らめき、キラキラ反射する。ここがどこなのか、もはやわからなくなる。
行き先は自分の中にみつけるしかない。

あなたはどこへ行くつもりなの?
と、胸ぐらをつかまれて揺さぶられるような感覚になった。ずっとずっと迷っていて、信じていた大好きな人も離れていって、足下がグラグラしていたときで、立っているのがやっとだった。泣くにも泣けない、そんな心境に落ちた。でも、そんな自分を内側から客観視しているような、不思議な気分だった。


トランクの山。
これまでいろいろな場所を誰かと共に巡ってきたトランクからは、持ち主の気配を感じる。ぬくもりや、荷の重み、知らない土地の風、土の匂い。
生まれたところから死ぬところまで、人生は旅なんだと思った。
目的地がどこかはわからない。けれど、行ってみたい場所はある。自身が持てるだけのものを持ち、鞄に詰めて携えて生きていくのだと。
トランクの山をよじ登りたくなる。そうしたら行く先を見据えることができそうで。

私の手に合う、私のトランクがほしくなった。


こども達がみていたもの。この世に来る前にいたところ、見た景色、聞いた音、食べたもの。
彼らは決して作り話をしてるようには思えなかった。きっと私も小さい頃は覚えていたのに、いつの間にか忘れてしまったのではないかと。もしかしたらまだ、髪の毛の先や爪の先あたりに、僅かに残っているんじゃないかと。

まだ赤ちゃんになるまえの、妖精だったころの記憶。というのだろうか。

そういう記憶は、無意識のうちに、ほんとに些細なところに現れてくるものかもしれない。トランクの中に詰めた服と服の間の空気とか、漕いだ舟の水面の中とか、そんなところにふと出てくるのではないかと思った。

老いた舟と、若いこどもの声。この部屋全体でひとつのインスタレーションのように思えた。


何かの資料で、塩田さんのおばあさんの土葬されたお墓の草むしりの話を読んで、彼女の作品がゾワゾワと身体の中に染みてくる感覚に合点が行った。
お墓は怖いところではないけれど、やはり何となく人の気配がして落ち着かない感じがある。そういう、ちょっと生々しい感覚を幼い頃から日常の中に持っているから、彼女の作品にゾクっとする感覚に心地よさを感じるのかもしれない。


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塩田千春 私たちの行方
@丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
2012年3月18日(日)→7月1日(日)
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